異常な確率の世界
こんばんは。今日のお題は確率に関するお話です。
とっても大事な話なので、耳の穴かっぽじって目でよくみてください。
世の中には、とても信じられないような理論や思想があります。
「100分の1で○○がでるくじを一番最初に引けば○○は出ない」
「100回の試行、最初と最後は1%なんて怒らない、起こりやすいのは真ん中あたり」
「一度宝くじが当たった場所は出やすい」
「残り物には福がある」
不思議です。いったいどこからそういう理論ができあがったのか。
なぜそれを信じて人は動くのか。考えたことはありませんか?
私もかつてはクラップスというゲームをやっていた時に、「サイコロで12が出たから
次は12は出ないだろう」と思ったりしたことがありました。不思議です。
「サイコロを振った時の出目」と「次にサイコロを振った時の出目」は相互に独立です。
前に12が出たからといっても12が出る確率は1/36、12以外が出る確率は35/36です。
とてもあたりまえなこと。「なぜ人は騙されるんだろう?」と思います。なによりここで問題なのは、この思考は発想であり記憶ではない、ということにあります。そう、コンピューターに聞けば、この発想は絶対に出てこないのです。
コンピューターに聞いてみます。「サイコロの目はなんだと思う?」
コンピューターは1~6の数字を適当に返すでしょう。
コンピューターにまた聞いてみます。「さっき6が出たよ。次は何が出ると思う?」
それでもコンピューターは1~6の数字を適当に返すでしょう。賢いものなら、
むしろ6を返すのではないでしょうか。そう、一度起こったことが起こらないことよりも、
一度起こった結果はまた起こりやすい、という発想のほうが自然なのです。
天気予報を考えてください。「以前このような天候で雨が降った、だから次は降らないだろう」なんて一言もいってません。むしろ、「以前このような状況で雨が降った、だから今回も降る」という発想をしています。「天気には理屈があるが、サイコロは以前の結果は関係ない。だから天気予報をランダムのサイコロと比べるのはおかしい!」という方もいるかもしれませんが、私たちはそういう確率の分かっていない事象に対して、最初に「一度起こった結果はまた起こりやすい」という発想を用いることが明らかに自然なのです。
私たちはサイコロの目にも、その理屈を用いるべきなのです。なのになぜ、一度起こったことが起こらない、起きにくい、というような発想に至るのでしょうか。
答えは私たちの生活にありました。私たちの生活では、サイコロを振る、というような「以前に起こった事象に関係なく次の事象の結果が出る」という例のほうが少ないのです。
小学校の席替えを考えてください。くじ引きで決めると考えましょう。最初に引くひとは、
まあ1/20くらいでランダムに当たると考えます。そこから10人引いて自分の番が回ってきました。まだ自分のほしい席は取られていません。あなたが考えることは「狙った席が当たる確率は、高くなる」なんです。そのとおりなんです。合ってるんです。
学校で、まずA君が当てられました。「次にA君が当たる可能性は低くなる」んです。
先生が「同じ人を当てないという作為」をしているからです。
「次に自分が当たる可能性は高くなる」んです。
先生が「同じ人を当てないという作為」をしているからなんです。
そうなんです。世の中では「同じことが連続して起こりにくいような仕組みが備わっている」んです。こんな世界をしばらく生きていれば、「さっき起こったことは怒らない、さっき起こらなかったことは怒りやすい」という一連の発想が、スムーズに出てくるのです。
そう、私たちは、踊らされているんです。
作為の中に。
人間が、人間だからこそ引っかかる。
それが、確率。
気づいてしまったあなた、今からでも遅くないです。
確率を勉強しましょう。
それではまた。
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