好きでもないのに一番好き
本日はバレンタインデーです.バレンタインデーと言えば,好きな人にチョコをあげるタイミングでもあると思います.
毎年のことですが,この時期になると「義理チョコというものはどういう相手に渡すべきで,本命チョコというのはどういう相手に渡すべきか」という理屈めいた思考が右脳左脳していて大変邪魔です.そこで,知人にその違いは何かと問うと,
「義理は好きな人に,本命は一番好きな人に」
という美しい答えを頂きました.いや,いい答えだなぁ,と思ったのもつかの間,私は,とんでもない無駄な思考を始めてしまうのです.
「好きな人はいないけど,一番好きな人がいることって,あるのか?」
あるのでしょうか.
考えてみれば,「一番好き」という条件は,まず好きであることが条件であるように考えられます.しかしそれは直感的であり,平然とした尺度でないが故の感覚です.
例えば,
「広い都道府県はないけど,一番広い都道府県があることって,あるのか?」
と問われれば,そういう人もいると思います.ロシアやアメリカに旅をし,日本の狭さを理解した人であれば,広い都道府県がないと思うことはあるでしょう.しかしながら,広い都道府県があるかどうかにかかわらず,一番広い都道府県は「北海道」で確定しているのです.
これは,実は数値が隠れているのです.
「(??? ㎢より広い)都道府県はないけど,一番広い都道府県があることって,あるのか?」
例えば,サイコロで例えてみれば,7より大きい数字はあるか?と言われたら,みなさんはいいえと答えるでしょう.ですが,一番大きい数字はあるか?と聞かれたら,6と答えるのが当然であるように思います.
この「7」という比較の値に,「一番〇〇なもの」が到達しえない時,意図してこのような状況が成立するのです.
そこで,問いかけを戻していきます.
「好きな人はいないけど,一番好きな人がいることって,あるのか?」
その答えに,どう立ち向かっていくべきでしょうか?
「四六時中一緒にいたいほど好きな人はいないけど」
「夕食を一緒に食べたいほど好きな人はいないけど」
「遊びに行くときに候補に挙がるほど好きな人はいないけど」
「人生を共に歩みたいほど好きな人はいないけど」
「挨拶をすすんでしたいほど好きな人はいないけど」
いろいろな比較の「値」が,そこには隠れています.
しかし,「一番好き」という指標は,どうでしょうか?
相対的指標である「一番~」という接頭辞がついた瞬間,我々は,
その問いに対して理論的な回答を得なければなりません.
我々は,「一番大好きなものはこうであってほしい」という概念を抱えることで,
それと比較し,「一番好きなもの」に対して答えを出さないという手法を,人生の中で自然と身に着けているように感じられます.
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