100万円のプラモデルとP = NP
なんだか最近,断捨離という文化がまた流行っているようです.バラエティだったか知りませんが,「今日捨てましょう」という番組をやっているそうで,非常に心苦しい思いがあります・・・しかし,個人的には,その番組の批判をしている人達のほうがよっぽどふざけた擁護をしているように感じられ,余計に腹が立つばかりです.
だってねぇ・・・番組で「夫が大事にしていたプラモデルを捨てた」ことに対して「100万は軽くするようなプラモデルを価値の分からない妻が捨てるなんて・・・」とかいう見当違いみたいな批判をしている人が多すぎます.だれが100万って言ったんですか?
今日はそういう事件に対する批判の目を養ってもらうべく,物々交換の原点である「交渉」についてみなさんに教えていきたいと思います.
私たちが「100円と50円を交換して!」と頼まれたら,拒否するでしょう.
逆に私たちが「100円と500円を交換して!」と頼まれたら,受諾するでしょう.
同じ金額というくくりでみれば妥当なことですが,商品が混ざるとまた変わってきます.
例えば,同じクルマであっても,日本人とアフリカの人民たちにとっては価値が異なります.かたや1000万円以上で売れて,かたや10万円でも買う人がいないかもしれません.
私たちがあるものを1000円で買うとき,それは私たちにおける「俺にとってその商品の価値は1000円を超えているぞ」という意思表明と受け取ることができます.このように,交渉というのは「互いに相手の物・金銭により高い価値を感じる」場合に成立します.
まず,ここが1つ目の問題です.「100万円もするプラモデルを・・・」という言葉は,なんの擁護にもなっていませんし,むしろプラモデルの持ち手を傷つけています.
100万円というのはあくまで購入時,または落札時に近い値段です.つまり買い手となったであろうプラモデルの所有者は,100万円より高い価値をプラモデルに感じていることになります.つまり,「100万円もするプラモデルを・・・」という言葉は,高々100万円の価値しか感じていないということを暗黙のうちに伝えてしまうことにつながるわけです.
せめて「100万円以上も」とか,もしくは金銭面以外からのアプローチがあればよいのですが,売値で価値を判断するようではもうしゃべらないほうがいいくらいです.それは別の人でもできます.
そして,2つ目の問題は連携価値です.全24種もあるシリーズもののおもちゃを集めていて,23種持っていて最後の1種を店で発見した時と,
1種も持っておらずに同じ商品を店で発見した時では,
同じ人物で同じ時間だったとしても大きく変わってきます.これが連携価値です.
戦隊アニメのグッズなど,複数がそろって初めて意味を持つ場合にはこの連携価値は大きな値になります.
最後の問題は付加価値です.第二次産業的価値とも呼ばれます.
例えばプラモデルは,組み立てる前と組み立てた後では価値が異なります.
なんで?と思う方も多いかもしれませんが,新品の服,着れば価値が下がるのと同じです.
工程を踏むことで,同じ商品でも価値が変化することがあります.
同じ食べ物でも形状を変化させることで価値を生み出したりします.カット野菜には,同じ量の同じ野菜と価値が異なります.カットして使おうと思っていた人にとっては価値が上がりますし,別の方法で使おうと思っていた人にとっては価値が下がります.
焼く・蒸すという工程も同じですし,中古で日焼けした商品が売れないのもこれが原因です.一般的には古いものほど,価値が上昇する傾向にあります.同じ5000円の商品も,10年使い続けたものと新品とでは大きく異なります.
これらの理由から,あらゆる時点において,自分以外の特定の人物がその商品に感じている評価値を計算によって参照することは不可能です.よって,第三者および第二者が価値を判断し,第一者の想定する価値を判断する行為はもはや何にも依存せず,ほぼNPに近い時間がかかることがわかります.よって,「今日捨てましょう」という番組は,NP時間かかると考えられるこの過程を番組中のわずか数十分で行っているため,あの番組の趣旨としては「この番組が可算無限回一定のペースで実行できるならばP = NPは満たされた」と言い換えても過言ではないでしょう.あの番組の存続により,このような重大な事実が証明されることは非常に素晴らしいことだと思います.
とはいえ,可算無限回あの番組を見るのは僕の寿命ではちょっと厳しいので,
新たなP = NPの証明を,待つしかないですね・・・まあ,気長に待ちましょう!!
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