責任の項目

責任を取れないものは無罪である.それは法律に記載されている.

責任には向きがある.どういうことかというと,人物AとBがいたとき,Aの責任をBが負うことがあっても,Bの責任をAが負うことはないような,AとBの組み合わせが存在する.

AとBは,主にAが夫で,Bが妻や子供であることがあった.江戸時代,「改易」という罪が存在し,大名の不法はそのままお家取り潰し(家族全員を抹殺する罪)として実際に実行された.

江戸時代,あなたの妻やこどもが100億盗んだとて,あなたが罪に問われることはないかもしれないが,あなたが100億盗めば,家族は全員抹殺されたかもしれない.


責任には大きさがある.どういうことかというと,人物AとBがいたとき,Aの責任をBが100%負うことがあっても,Bの責任をAが100%負うことはないような,AとBの組み合わせが存在する.

AとBは,主にAが社員で,Bが会社であることがある.基本的に,社員が会社に損害を与えた場合でも,社員には責任の限度が存在して,それ以上の責任を負うことはない.

あなたが今からどこかの会社に就職して,うっかりすべての機材を木っ端みじんにしても,まあ懲戒処分にはなるだろうが,全額の借金を負うことはない.


責任には認識がある.どういうことかというと,人物AとBがいたとき,Aの責任をAが100%負ったと感じていても,Bが「Aの責任をAが100%負った」と感じていないような,AとBの組み合わせが存在する.

AとBは,主にAが会長で,Bが組織であることがある.組織の意思決定権が十分に集中している場合,会長Aは自分の責任を取るために組織を部分的に解任することができる.それが責任を取っているかどうかは問題ではなく,0人を解任することもできる.

あなたが今からどこかの会長になったあと悪さをした場合,謝罪会見をして数人解雇すれば,あなたの罪は償われたことにできる.実際に償われたかどうかは問題ではない.

そこに謝罪会見が必要かどうかさえ,あなたが決めることができる.



責任には原因がある.どういうことかというと,Aが責任を負うとき,その責任が発生する必要条件であった要素の集合 {a_1 ... a_z} が存在する.

仮に今からどこかの放送局でオリンピックの打ち上げと称して飲み会を開き
誰かが緊急搬送されて問題視されたとしても,そこには「オリンピックがある」「放映権がある」「オリンピックを放送した」「コロナが広まった」「オリンピックが東京であった」「放送局に緊急搬送されるほど不注意なやつがいた」など,いろいろな理由をしこたま挙げることができる.ほとんどの場合,あなたは責任の原因ではなく,責任の集合体である.


責任には限度がある.どういうことかというと,BがAに責任を負わせるとき,Aに必ず拒否することができる責任が存在するような,AとBの組み合わせが存在する.

AとBは,主にAが犯罪者で,Bが被害者であることがある.たとえあなたが外国と結託して日本を戦争に陥れ,日本人200万人を意識あるままに火あぶりにして嬲り殺しにしたとしても,あなたはしめて死刑が限度である.「200万人を生き返らせろ」という責任を取ることは決してない.


責任には,意味がある.
責任さえ取れば,罪に問われる理由を閉ざすことができるからである.


あなたが責任を取るとき,あなたは「有罪」である.
責任を取れることは,素晴らしいことである.


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