哲学的架空面上の二股関係
"架空の二股"・・・非常に面白いことばを聴いてしまったわけだ。
存在しないキャラクターに対して恋愛感情を持っている前提があった場合でも
別の存在しないキャラクターに対して恋愛感情を持つことは不可解ではないとのこと。
これもまた難しいのでやっぱり論理学的定義を見直しながら進もう。
自分の把握するすべてのキャラクターy∈Yに対して感情Myを定義する。∀yMy≧0だ。
もし恋愛感情限界線sを越えていた場合、つまり∃i(i∈Y)Mi≧sなら恋をしていることになる。
今までの定義であれば、
(∃i(i∈Y)Mi≧s)∩(∃p(p∈Y)Mp≧s)⇒ (i∧¬p⇒φ)∧(i∨¬p⇒Ω)
と表せたわけだが、
この命題が偽であるという前提から始まる。これは、sの定義線が非常に小さくなるという新たな事実を引き出すことに留意して頂きたい。(AND"∩"とかつ"∧"が違うのはニュアンスからこうしている)
まあ日本語で分かりやすくいうと、「二人に恋をしているならそれは紛れもなく同一人物だ」
ということだ。これらの定理から、本来恋愛感情限界線というのは二番目に感情を高くもつ人に左右されると考えられてきた。
本来であれば、(仮に恋愛感情をいだけるのが1人であると仮定できるならば)sを導入するというよりは、そのキャラクターyを保存する変数を用意したかったのだが、今回はこの裏付けを破壊することになってしまうのでそれもできなかった。
まあこれが正しいとなれば、「俺はイカ娘もすきでAチャンネルのトオルンも好きだ」みたいな感じで二股かけ放題ということになる。これはこれで人間性を破綻しているとも言えなくもないが、
どうだろう?恋愛総量論を信仰していなければすぐに飲み込める話かな?
(恋愛総量論とは、脳の中の恋愛感情をつかさどる部分に100のキャパシティがあり、誰かを1愛すると、誰かへの愛が1減る、というものです)
うーん、今回はちょっと難しい話をしてしまった。
恋愛というものは、いかようにも難しいものだ。
いや、そもそも恋愛を数字で表すなんて、俺のほうが滑稽だったか・・・
まあそうは言っても既に3回くらい恋路折れてるので(ワンチャンこれから4回になるかも?)
そもそも恋愛に対する理解は出来ていないのだが・・・
まあいいや、今日はおしまい!
ではまた次回!
0コメント