蛙の苦行

ふとした瞬間,面白いものを思いつくと,それしかできない.でもそれは,その時にしかできないことなのかもしれないという気持ちがあるので,べつに良い.

だが,ふとした瞬間に思いついた面白いものを達成したとき,すでにその "面白いもの" は,面白い原型と留めていないかもしれない,という気持ちが非常に強くある.


例えば,面白いゲームのシステムというのは,想像するだけならたくさん存在する.

僕は,そのうちの一つを思いつき,これは面白いとおもって,実際に作ってみたのだ.


そして,実際に遊んで見ると,とても面白い.しかし,同時に面倒であると感じてしまうのだ.

面倒であるところをすぐに治せるのが,自作の良い所というか,そうなのだが,

それに気が付いて自分で面倒だと思うところを簡略化した.


そして,実際に遊んで見ると,そんなに面白くない


いったい何が原因だったのか,皆目見当もつかない.ただ,ひとつ確かなのは,

面倒であるところをすぐに治してしまったことで,このゲームは面白くなくなったということだ.



面倒だと感じたから,直した.なのに,どうして面白さがなくなってしまったのか・・・

それは,今の自分が理解するには非常に高レベルな問題だ.



あとからこの面倒くささを戻してみても,

一度面倒くささを除外したゲームを遊んでしまった身としては,

その行程がめんどくさくてたまらない.

もう一番最初の感動には戻れなくなってしまっている


で,ここで一番問題なのは,面倒だと感じたのがいつなのか,ということだ.

自分は,このゲームを思いついた時,まさか面倒だと感じるとはとても思わなかった.

そう,自分が途中まで目的に近づかないと分からない問題点だったのである.


このような現象を,私は「蛙の苦行」と呼んでいる.

蛙の苦行 とは,「井の中の蛙大海を知らず」ということわざで知られる蛙が,実際に大海を知り,海へ近づこうとする際に,たどり着くまでのその陸道の長さに絶望したという架空の話に由来し,

転じて,目的を達成する過程で,その目的が達成できない問題に当たることを意味する.


今,蛙の苦行でGoogle検索に飛んだ人たちは,おそらく「蛙の苦行」の語源について知りたかった人たちだと思う.君たちは間違いなく,「蛙の苦行」という言葉の由来を求めることが目的だろう.

しかし,蛙の苦行という言葉は自分が生み出したことわざだ.次回の広辞苑には載ってほしい.

そう,いま調べようとした諸君は,まさに,

「言葉の由来を求める」過程で,それが不可能になってしまった

わけだ.どうだいその気もちは!?


なんかやろうと思ったことがさぁ,やってる最中でできなくなった時のあっけらか~~~~んな気持ち!!!!


分かりました????



分かったらOKです.

来週から使ってください.



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