無理にしなくていい
無理にしなくていい という文にひたすら悩まされる。
無理にするって何だ。まず「無理」という概念が存在するとしよう。
じゃあ無理をしないというのは何だ。
ここで、「無理」とはなにかを定義しよう。
無理とは、文字通り、「理」というものが存在しないことを意味していると仮定する。
理が存在しないということをするとはなんだ。
そして、理が存在しないということをすることをしなくてもいいとはなんだ。
ここで「理」とはなにかを定義しよう。
理というのは、理屈と言う言葉からきているらしい。
「ある法則に従っている」と定義しよう。
ある法則にしたがっているというわけではないことをすることをしなくていいとは何だ。
文をかみ砕いてみよう。
ある法則にしたがっているというわけではないことをすることをしなくていい
ある法則にしたがっていないことをすることをしなくていい
ある法則にしたがっていないことをする必要はない
ある法則に矛盾したことをする必要はない
こう考えてみると、「無理をしなくていい」というのは、「道を外れるな」という
解釈にたどり着くことができる。
その割には、「無理をしなくていい」というと、まるで「度がすぎるのはよくない」といった意味合いに取れることが多いようだ。言葉が連結していくと意味がだんだんと薄れてくることが容易にわかる例である。
「パない」も問題だ。一時期「マジパネェ」と言ったように形容詞の一角として
日本語の語彙数を壊滅的に減少させたこの言葉、「パ+ない」の組で見ると
「パなくない」ときには「パ」と言わざるをないことがある。「パ」ってなんだ。
近年では「よさみ」「ヤバみ」「バブみ」と言った、語尾に「み」を用いることで
名詞化を試みるというさらなる語彙力の低下が日本中で見受けられる。問題なのは、
「よさ」というのはすでに名詞でありながら、「よさみ」もほぼ同義の名詞であり、
明らかにポジションの差別化ができていない単語が存在していることだ。違いは、
「よさが(ある/ない)」「よさみが(深い/浅い??)」と言った形容詞の用い方くらいだ。
ただ、「魔剤」に関しては合理化ともいえる変化をしている。「名詞」としてのモンスターエナジー、英語のReallyに似たような意味として「本当?」とった意味も含まれており、
用途で判別できるためこれは語彙の進化とも呼ぶべきだ。形容詞で「まざい」とか名詞で「まざみ」とか出て来たらそれは明らかに異常だが、現状はよく働いていると思う。
そしてなにより話題に上がるものとして「ラ」や「ボ」「バ」「マ」と言った1文字の言語であろう。日本語としても「ぷー」や「なー」「えー」などは存在しているが、単純に一文字として日本語に君臨してきたのは「は?」「え?」などの感嘆系のものや、名詞としての「津」「矢」などしかなく、しかもカタカナ1文字であらわされるものはほとんど存在しなかった。
それがここ数年で3語増えたというのは本当に、言語の変化として恐ろしいものである。
日本語は、どういう変化を遂げているのだろうか。
単純に画数の少ないものを求めているわけではないということは、「魔剤」が証明した。
文字数の少ないものを求めているわけではないということは、「よさみ」が証明した。
やはり、時代の変遷とともに、「ジャンルがある程度絞られた仲間間での暗号」のような
ものとして、この言葉が君臨しているというのはほぼ間違いないとみてよいだろう。
戦争が始まれば、「ボ」は防空壕になるだろう。そんな時代が来るかもしれない。
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