勝ちてえ時
勝ちてえ時がある.戦っている時がある.そこで勝てたらすごくうれしくて,負けると超悔しい瞬間がある.
勝ちてえ時,どんな気持ちになる?
勝ちてえ時,何を望む?
本当に勝ちたいなら・・・相手が負けることを望む.
しかし,それでよいのか?いや,それで良いはずだ.
もしそれで良くないのなら,「勝ちてえ」わけではないのだ.
小学校の運動会でリレー徒競走があった時,チーム戦になっていて,
割と自分のチームは負け濃厚みたいなところがあった.
みんな,勝ちたいって言ってた.だから・・・
俺は,相手のアンカーが負けてほしいと切に願っていた.
神は優しかった,そいつはびっくりするほどいいところでコケて,
自分のチームが勝ったのだ.俺は喜んだ.
でも,喜んだのは俺だけで,相手チームも,
なんなら自分のチームのほかの奴も,というか先生でさえ,まともに喜んでなどいなかった.
自分のチームのアンカーの奴は,相手のコケた奴のところにいって,一緒に泣いてた.
その時,自分でも,なんとなく感じていた.
相手の負けを望むなんて,なんか嫌だったていう,気持ちだ.
でも,勝ちたかった気持ちは嘘じゃないから,本当にどうしていいか分からなかった.
ただ.みんな「勝ちたい」って言ってたのに,そして勝ったのに,喜べなかった.
自分が勝ちたいだけなら,相手の負けを望めばよい.
しかし,それはなんというか,負けの道筋にある相手を倒しているだけのような気がしてならない.
全力でぶつかってきた相手に勝ちたい.なぜかというと,その相手に勝つことで,
自分は「全力の相手」より強いと体験できるからである.
そう,つまり,「相手の負けを望むのはいやだ,だけど勝ちたい」という時,
「勝ちたい」のではなく,「全力の相手に勝ちたい」という気持ちがあると思う.
自分が勝ちたい時,「どうして勝ちたいのか」を,考えると良い.
勝ちたいなら,ズルをして,相手に嫌がらせをして,勝てばよい.
では,なぜズルをせず,相手に嫌がらせもせず,勝ちたいかというと,
「勝って,何かを示したい」からではないだろうか?
自分は,勝つことで何が示したいのか,それを考えていくと,
いつか,目標は「勝ち」ではなくなるかもしれない.
将棋のプロが反則せずに勝ちたいのは,「反則をしていない将棋」で勝つことに意味があるからだと思う.そうでないなら,AIやらなんやら使えば良いと思う.裏でポナンザとか動かしながら将棋やっても,そもそも楽しくない.それは俺が強く見えてるだけで,将棋をやっているのは俺ではないという気持ちがある.つまり「俺が,将棋というルールで勝ちたい」のである.
早押しクイズの勝率を高くしたいのに芸能人を覚えたくないのは,つまり「早押しクイズの勝率を高くしたい」が間違っていて,結局は「いろんな知識自慢がしたい,でも芸能人を覚えたくない」という気持ちがあるからだと思う.で,なんでかというと,最終的には「自分にとって,芸能人の名前は覚える価値がないと思っていて,もっと覚える価値のある部分で頑張りたいという気持ちがある」ということに気が付く.つまり「俺が,覚える価値があると感じた問題だけで勝ちたい」のである.
いろいろ突き詰めていくと,「勝ちたい」という言葉は不十分で,
「~~な状況で勝ちたい」という風に,どんどん限定されていく.
改めて,問うのだ.
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