墾田永年私財法の謎

こんばんは。今日頂いたお題は「墾田永年私財法」です。

日本史はあまり得意ではありませんが、さっそく語っていきたいと思います。


まず、中学の日本史のレベルで登場するほど有名なこの法律(当時はと言った)ですが、

この法律には謎がいっぱいです。今の私たちにはとうてい想像できないような

おかしい理屈が含まれています。


まず、この法律が生まれた経緯を見てみましょう。まず、それまでの日本のルールでは、

農民は6才くらいから土地をもらい、耕して米を国に納め、死んだら返す」というような

形が取られていました。

ところが、農民のやる気がでない、と分かるわけです。そこで登場したのが、

三世一身法」。この墾田永年私財法の前身にあたるものですね。

「新しく土地を開墾したら、孫の代まで自分の物として持ってていいよ」

というルールです。これでやる気が出るだろう、と。


しかしながら、町の声を聞きつけた人がいうのです、「孫の代になると

どうせ返却するのだから、と土地を耕すのを止めてしまい、荒れてしまって

使い物になりません」と。そこで「ならばもう末代まで私有してよい」と

言って生まれたのが、この墾田永年私財法です。


経緯はとても簡単ですね。農民のやる気を出させるために行ったというだけです。

ところが、これには大きな疑問が湧くのです。


孫の代になって、実際に返却するころにならないと、

「土地が荒れてしまって使い物になりません」という情報は得られません。

ところが、この三世一身法と墾田永年私財法の間は、


わずか20年。


たった20年で、孫の代まで続きますか?

そんなことがあり得ますか?

10才台で子供を授かる、という事例は、現在ではほとんど存在しません。

それこそないわけではないのですが・・・



しかし、この疑問を解消するためのデータというものが、存在します。

それは、「当時の結婚年齢」です。

実は平安時代には、10歳前半で結婚したりするような事例がマジであります。

12才で結婚とか、想像するだけでマジヤバイ

つまり、平安時代でなかったとしても、この法律が生まれた時代、おおよそ

奈良時代ではないかと思うのですが、結婚適年齢が圧倒的に低かったと

考えれば、20年で孫の代までくることは決して例外などではないのです。


つまり、大学生や社会人にもなって結婚していない方というのは、

この古き時代にタイムスリップするとほぼ一生独身扱い、ということですね。



・・・現代に生まれたことを喜びましょう。

それではまた。

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