年は平等、チャンスは均等
新年、明けましておめでとうございます。年というのは待っていれば終わりますから、どれだけ価値のない人生を送っても必ず2020年に突入できます。これが、「平等」です。
年は平等に訪れます。
「平等」とは、「平らで等しい」ことを意味します。該当する全ての人が、同じ量の恩恵を受けることです。
年末、宝くじを買う中学校のころの同級生を何度か見かけました。宝くじなんて・・・なんで買うんや、と思うのですが、奴らは口を揃えて「1等のチャンスは誰にも均等にある」と言うのです。そりゃあ、そうでしょう。
「均等」とは、「均せば等しい」ことを意味します。該当する全ての人が、同じ割合の恩恵を受けることです。
きっとあいつらは、平等と均等の違いも知らないのだろう、と思いつつ・・・でも、やつらの言うことも間違ってはいないので・・・結局誰にも「平等と均等は違うんだ」とは、言えませんでした。ただ、こいつらはきっと、「同じ意味の言葉が複数ある」ことに疑問を持たない、のだと感じました。
みなさん、同じ意味の言葉が2つもあるの、おかしいと思いませんか?
方言ならまだしも、同じ「標準語」の中に、2つも必要ですか?
きっと今、このブログの二つ前の段落で使われている「あいつら」「こいつら」「やつら」の違いも特に分からずに読み進めている人だっています。別にいいです。そいつらは、きっと「男女雇用機会均等法」の「均等」の本当の意味を知らないまま、人生を終えます。
《宝くじの1等のチャンスは誰にでも均等にある》
この文章は、正しいです。1等のチャンスは「平等」ではありません。もし平等なら、【宝くじを1枚買った人】と、【宝くじを1000枚買った人】にとって、1等があたる可能性は同じです。均等であるからこそ、【宝くじを1000枚買った人】は、その1000枚全てに、当たるチャンスがあるわけです。
ところが、たくさん買えば、それだけメリットは減ります。賞金額を超えれば、意味もなくなります。だから私は、「宝くじなんて・・・なんで買うんや」と、彼らに聞いたわけです。
つまり、彼らの答えは、私の求める答えではなかったのです。
やつらにとっての《均等》
やつらは、平等と均等の違いなどきっと知らないのだと思います。ただ、彼らの言いたいことは伝わります。もし、彼らが【平等】という意味で【均等】を使っているとしたら・・・
”(買った宝くじが)1等のチャンスは誰にも【平等】にある”
きっと、こういう意味なんだと思います。宝くじを買えば、誰にだって数億円が手に入るという、いわば【夢】・・・この夢こそが、平等にある。それが、彼らの言いたいことなのだろうと、思いました。
私は、その可能性を一瞬のうちに想像してしまい、「平等と均等は違うんだ」と言いたかったのに、文章は間違っていないから、どうしようと悩んだわけです。そして、救えなかった。
私が、もしあの場面で言えたなら、彼らには知る【チャンス】があった。しかし、私は言えなかった。
彼らはそんなこと知りたくないだろう
と、思ってしまったんです。
中学校はバカでした。僕はそんなバカ集団が嫌いで勉強をしてきた。僕は昔バカ集団にいたので、こんなこと知りたくもない、という気持ちが、すごく理解できる。だから言わなかったんです。そして、彼らは知る【チャンス】を1つ失った。まさに、機会は平等ではありません。
チャンスは、賢さに対して【均等】に訪れます。僕は勉強をして、いろんなチャンスを手に入れました。
賢い学校に行けば、それだけたくさん知る【チャンス】がある。
賢ければ、企業したときにそれだけたくさん成功する【チャンス】がある。
お金がもらえる【チャンス】、
仕事がもらえる【チャンス】、
株で一発儲ける【チャンス】・・・
たくさんあります。
賢くないと言うだけで、他の人が知らないことを教えてくれないなんてことは、よくあります。
あなたも、何かチャンスをつかみたいと思うなら、賢くなるしかありません。
しかしまた、賢くなる【チャンス】も、
均等であるのが・・・世の無情。
私のブログが、読者にとって、何かを知る【チャンス】になることを、《今年の抱負》としていきたいと思います。
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