なんでもできる "水"
水というのは、澄んだ透明というイメージが強くあります。美しいイメージを持つこともあるのですが、水はどことなく、神々しい風格を感じます。不思議です。
日本は古来から、水というものは融通の利かないものだと考えられています。水は神が天から与えるものであって、自分たちが水を作りだすことはできない。雷雨や洪水・津波といった、水が原因となる災害も多くあります。そしてなにより、水の中では呼吸ができず、私たちは生きることができないのです。そのため、水というものは、人間には制御できない、どちらかというと神に近いものとして考えられてきました。
それと同時に、水はありとあらゆるものを無に還す力がありました。これも、水が神に近いものだと考えられる理由でしょう。水に溶かせば消えるものもあるし、水で薄めれば効果がなくなるものもあるし、水は重力も消してしまうように見えますし、水の力で岩を削ることだってできます。(川とか言い例ですね。) あまりになんでも消してしまうので、何かが無駄になることを「水の泡」というようになりました。その後、わざと水の力を借りる言葉も生まれます。水の力で、私たちの嫌厭な仲を直しましょう、そういった意味で、「水に流す」ということわざが生まれるわけです。
こんな感じで、水はもう無敵とも言えるような素晴らしさがあるんです。しかし、水があまりにすごすぎるもんですから、水というのは近寄りたくないものになってしまうんですね。だから、ヤジを飛ばされたら「水をさす」とか言われますし、身内同士のことを「水いらず」というようになります。ちょっと友達らしくないそぶりをみせると、「水臭い」なんていうようになりますし。
このように、水というのは、すさまじい力を持っていて、それゆえに近寄りたくない・・・そんなイメージが付いているんだと思います。そのせいか、どことなく神々しい風格を感じてしまったような気がしてなりません。
実際、生命の維持、あらゆる溶媒としての役割、なんでも破壊する津波の力だけではありません。現在の技術なら、「水を使って石を加工」「水を用いて放射線を遮断」など・・・もはや「水にできないことはない」といえます。水さえあればなんでもできる。
でも、私の友人にこれだけ水の良さを語っても、全然 "水" のすごさを分かってくれないんですよ。「そういう考えもあるけど、"水素水"は2つも"水"がついてるのに、何もできないじゃないか」の一点張り。もう、頑固な人は困ります。
「水にできないことはない」って、何度言っても分かってくれないんですから、
ホント、焼け石に水ですよ。
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