歌舞伎 "揚げ"

からあげクンが食べたかったのだ.だから私はコンビニで,(といっても100%ローソンだということは明白なのだが)からあげがクンを注文した.しかしおめあてのからあげクンはなく,「から"あげ"」じゃなくて「おて"あげ"」だと店員が言っていた.面白いやつなので座布団を2枚"あげ"ておいた.

なんというか,世の中はやっぱりうまく行かないことが多いと思う.コンビニって,今唐突にほしいとか思ったものを手に入れるためにあるんだと思っている.ところが,そのコンビニでもほしいものがいつも手に入るとは限らない.どれだけ万端な準備をしているとは言っても,やはり客足を完璧にあてるなんてできないし,からあげクンがどれだけ売れるかなんてわからないもんだと思う.

しかたないのでおなじ揚げ物なら歌舞伎揚げでいいかと思い,歌舞伎揚げを買った.するとだ,これがまたおいしい.夜にもう一回食べたくなって,もう一回買った.

なんというか,世の中はやっぱりなんとかなることが多いと思う.たしかに俺はからあげクンがたべたかった,それに狂いはないし,からあげクンは手に入らなかった,というも事実だ.しかし,俺は歌舞伎揚げを食べることによって,からあげクンを食べるよりももっとエクセレントにハッピーな気持ちになれたような気がする.つまり,世界がうまく行かないのに,最終的な結果はなんだかんだで一番ハッピーになる,ってことも結構あるんじゃないかと思う.

そのあと,家に帰って論文の証明執筆に精を出していたが,これがまた疲れるばっかりだ.どうやってここ証明したんだっけ・・・と悩みに悩んでいるとき,さっき買ってきた歌舞伎揚げを食べて,またハッピーな気持ちになって,「ああそういえばこんな証明をしていたんだった」と思い出した.

なんというか,世の中はやっはり難しく考えないほうがよいと思う.こうやったらああなる,ああやったらこうなる,そんなことを考えていると,頭がこんがらがって何も覚えられない.判断も失敗する.英単語を見て,これどういう意味だったかなあ~~と悩んで30分すぎたことも昔あったのだが,諦めて風呂に入っているときにふと思い出した,なんてことになるのが通例だった.センター試験の本番でも,日本史で一個解けなかったのに,余った時間で端っこにキョロちゃん書いてたら思い出した問題が一つあった.なんていうか,世の中はそんなもんだと思う.


みんなも,受験勉強とか卒論とかに力を尽くすことばかり考えていちゃだめだ.

弱音を吐いて愚痴を吐いて毒を吐いたところで,結果はよくならない.

僕の友達が弱音を吐きそうになった時,実は俺が「モンエナのんだらいいんじゃない?」って冗談半分に言ってあげたんだが,俺の意見を鵜呑みにするようなやつだったのでそれからモンエナを飲むようになった.こいつ大丈夫かなって思いながらも(自分が言った本人なので)なんともいえず,固唾を呑んで見守っているだけだが,案の定寝れなくて試験には遅刻したらしい.いや申し訳ない.

ただ,私たちが何かに行き詰ったとき,何が足りないかというと,「モンエナ」が足りないんではないだろうか.僕の今日のモンエナは,歌舞伎揚げだったのかもしれない.

その「モンエナ」が,うまくいかない世界を忘れさせ,我を忘れさせ,ちなみに僕は自宅のカギを研究室に忘れた.次のターンのスタンバイフェイズ時,自分イィーブクロ上のモンエナの効果が発動し,忘れたときの絶望感を半分にするだけでなく,家のカギを忘れても案外なんとかなるもんだと分からされてしまった.これも今日の成果だ.


そんなことがありまして,今日は歌舞伎 "揚げ" で成果を "上げ" てしまいました.

0コメント

  • 1000 / 1000