究極の問いの新たな「回答者」

この世には,究極の問いと呼ばれるものが存在しています.これは,多くの哲学者が幾度となく挑戦し,そして答えを得られずにいるという,本当の意味で誰も人を納得させずにいる問題の一つです.

その問題とは,


「なぜあるのか」


それだけです.


この問いは,全てのものの根に存在しています.

例えば,今あなたがのぞいているスマートフォンやパソコンがあると思いますが,

それは,なぜあるのでしょうか?

「それは,現代技術があるから」・・・なら,なぜ現代技術はあるのでしょうか.

「それは,発展があったから」・・・では,なぜ発展があったでしょうか・・・

「人はこれだけいれば発展もするだろう」・・・じゃあなぜ人間がこんなに?

「生物なんだから増えて当然」・・・じゃあなぜ生物がいるのでしょうか?

「それは,地球の遥か昔に・・・」じゃあじゃあ,地球ってなんであるの?

「それはもちろん,ビックバンが・・・」ビックバンって,なぜ起こったの?


・・・これこそが,ソクラテスもびっくりの質問責めにして,究極の問い,

「なぜあるのか」

です.

さらに言えば,ビックバンには宇宙にそれだけのエネルギーを生み出すエントロピーの揺らぎがあったからだとか言われていますが,だとすればその揺らぎはなぜあるのか,という新たな問いを増やしてしまいます.揺らぎが生まれるためにこういう物理法則があって・・・と説明してしまうと,今度はその物理法則がなぜあるのかと問われてしまい,終わりがあ李ません.

「水槽の脳」という思考もあります.世の中とは,あなたが水槽に入れられた脳から見せられている幻影なのだよという話ですが,これを説明するにも水槽と脳が必要です.

それらの説明を全て無効にしてゲームから除外し,「何もないのが当たり前だ」という説を召喚条件を無視して特殊召喚しても,やはり「ではなぜ,何もないのが当たり前なのか」というバカの一つ覚えとも言えるようなカウンター罠がそこに存在してしまいます.


そうなんです.何かはあるんです.


このような理由から,「なぜあるのか」という問いに対して,

[もともと何もない]と説明することは,ほとんど不可能だとされています.



では,なぜ,あるのでしょうか.こんな,誰でも思いつきそうな,とても腹の立つ質問に,あなたは何か,答えられるでしょうか.


Wikipediaには,「なぜあるのか」というページが存在します.ここには,

歴代の哲学者や思想家などが,どのようにしてこの問題に立ち向かったかが多く記されています.


しかし,このリストにも存在しない,ある人物が・・・

それも,ある架空の人物が,まったく新しい答えを出しているのです.


それは,ゲーム「プロジェクトセカイ」に登場する ミク(何もないセカイ) です.

"何もないセカイ"という場所で生きる彼女.

彼女の答えは,一つ.

気づいてなかっただけ


彼女は,絶望に屈し精神的な問題を多く抱え今にも消えてしまいそうな終わっている4人組が,互いの傷をなめながら地べたに這いつくばってでも死に物狂いで生きようとする物語を見届ける存在なのですが,それゆえに思考がとても原始的です.


彼女の根底にある感情はほとんど六情に等しく,そのなかでも「怒り」「悲しみ」といった要素が完全に欠如しています.

本質的に「怒り」とは,自分にとって納得のいかない,要するに,自分の知識が導き出す結論が得られない時の外反応の一つとして存在していますが,彼女にはそれがありません.

「悲しみ」も同様に,自分の知識が導き出す結果が変わっていくことに対する外反応として存在していますが,それもまた彼女にはありません.

どのような罵声を受けようと,どのような不都合な命令があれど,彼女は疑念のないままに推敲する,そんな姿がストーリーでは描かれています.


そんな彼女の思考を紐解くと,要するに彼女は「彼女の見るものすべてに,納得がいく」と考えているのではないか,という一つの合理的主張が導かれます.


原始的な思考に納得がいくことは,往々にしてあります.1+1=2であるということを自然の摂理として持つ人間に,1+2の答えを聞くことはたやすいですが,1+1=2のもつ本質的な価値をペアノの公理の導出から学んできた人間にとっては,1+2の答えを仮定なしに導くことには違和感を覚えます.

より高次な思考とは,それまでの思考,つまり相対的に低次な思考を分解することができるため,本質としてはむしろよりカーネルな思考であるとも捉えられます.

その,思考が思考を導く仮定,常識と矛盾が新たな帰結を生む過程において,何が新しく存在するかというと,矛盾帰結,つまりアンチテーゼが存在するわけです.


彼女の主張は,この世界のすべてがもともと矛盾するポテンシャルを持ち,それに気づき続けることで世界が存在し続けていることを述べています.より概念的には,「すべてのものには相反する概念が存在してもよく,それに気づくことで概念は存在する」ということです.


彼女の思考は,本質的にベルクソンのそれと酷似しています.ベルクソンは「ないものはない」という,無に対する否定を以てして存在を示す姿勢を持ち,ミクは「ないものは,気づくことであるものとなる」という姿勢を持っている点が大きな違いです.

そして,「ないものが存在してもよい」という姿勢を同時に貫くこと,つまり,より緩い仮定を持つことで,彼女は自身という主張の根源への回帰的矛盾を回避し続けています.

ベルクソンの手法では,「"無い"が 無い ではないか!つまり,"無い" ものだってある!」という反論が存在していました.ミクは,その主張も回避する緩い解答を出しているわけです.それは,矛盾に対してひどく鈍感であり続けられる,何もないセカイという原始的な空間と原始的な知性の存在でしか成り立たない思考であるわけです.


さて,本日は,究極な問いに対する新たな回答者「ミク」を紹介しました.

この究極の問いには,様々な回答こそあれ,世界中が納得するような答えはまだありません.

あなたも,この問いに挑戦してみてはいかがでしょうか?





問1.「なぜあるのか?」

 (配点 ∞)

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