相手を知ることの本質

「ねこってなんですか」と,私は聞かれた.私は不思議に思った.「ねこ」とは何か,私は答えることができなかった.「ねこ」とはなんなのだろうか.

「ねことは何か」の問いにこたえるためには,「ねこ」の定義を与えてやらなければならない.では「ねこ」の定義を与えたいが,私たちが「ねこ」を認知する時,どの要素を以てして認知しているだろう.

「まず耳が・・・」と考えた.考えてしまった.僕は発想が足りなかった.「耳」の定義について考えなければならないからだ.改めて自分に問う,「耳」とは何か.

この「ねこ」を完全に記述するにあたり,視覚的情報を矩形と識別色のみに分解して説明することが理論上可能であるということは確かだが,そこはかとなく膨大な計算時間を要求される.逆にいうと,「耳」や「毛」,「手足」といった要素の識別ができて,初めて「ねこ」は認知できるということが分かる.


これはとても大切なことだ.たったねこ一つではありながら,なによりも本質的な意見を得るための具体例として私は解読した.

というのも,昔似たようなことがあったのだ,私が「SVOCってなんですか」と英語の教師に聞いた時のこと,「まず形容詞というのは・・・」と言われ,「形容詞とは何ですか」と割り入った.教師は頭を抱えていたが,理屈の上では同じことだ.

意思疎通・意見交換をするにあたって大切なのは,「自分と相手の共通理解部分で会話をすること」である.相手がフランス人で自分が日本人ならそのどちらにもわかるもので意思疎通を図らなければならない.例えばジェスチャーなどが該当するだろう.

自分がサイヤ人で相手がナメック星人であったとしても同じことだ.サイヤ人はナメック星人に通じるワードを用いなければならないし,逆もまた然る.

「ねこって何ですか」という言葉の妥当な解釈は「私はねこが分かりません」ではない.その真の意味として考えられる最大の可能性は「私は"ねこ"に準ずるレベルの言語に理解がありません」という解釈だ.つまり,この言葉一つで「ねこだけではなく"毛"も"耳"も通じないだろう」というある程度の予測を達成することができる.それこそが,私がこの質問に答ふることができなかった最も原始的な理由だろう.この予測が会話を困難にする最大の原因なのだ.

ものの理解というのは積み重ねである.日本語が分かって初めて"毛"を理解し,それがわかって初めて"耳"を理解し,そのうえでやっと"ねこ"の解析にたどりつくことができる.

英語も,単語の種類が分かり,それで始めて単語に解釈を得,そして初めて文法がわかり,それでやっと文意を解析することができる.やはりそこなのだ.

そしてその理解を,私たちは相手に依存しなければならず,そして会話を断念してしまう.


このようにして何を学んだかというと,

「会話というのはやはり難しいな」

ということである.たしかに,難しい.

しかし本当の意味で難しいのは,「相手の知っている言葉を選ぶこと」ではなく,「相手の知っている言葉を,知ること」なんだと,また思い出させることになった.

トオルンのブログ

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