信頼する「ばか」

友達に「バカ」と言われても,正直なんとも思わないもんです.「は?」とかノリで返しちゃうこともあれば「よく知ってるじゃないか~~」とごまかすこともあります.バカと言われても,自分がばかであるという結論には帰結しません.

しかしながら,見ず知らずの40代のおじさまに「バカ」と言われますと,(状況にもよりますが)まず頭には疑問符が浮かび,真の意味での「は?」という意見が飛び出すことがあるでしょう.状況によっては,自分がばかであるという思い込みを発生させるかもしれないし,そのまま自分がばかであるという結論に帰結してしまうかもしれません.


これはいわゆる「信頼度によるフィルタリング」というもので,なんと面白いことに「信頼度が高いほど"バカ"という意見を信頼しない」という面白い場合が存在します.

どういうことでしょう?友達がバカと言ったのに,信頼してる友達の意見だから信頼しないなどと,そんな風に考えたことありますか?


この理論は文字という文化が現れる前から存在していたようです.僕は今年で9万8012歳なので知っていますが,どうやらこのころからすでに信頼するほど情報の信頼度が落ちるということが起こっていたようです.


この理論は近年になり,新しい解釈を得ました.「信頼しているので相手の意見に対しての信憑性を自分が推測できる」というものです.


考えてください.全然信頼してないニュース番組とかで「○○だからここが悪い」というようなニュースを見たときに."はたしてそうだろうか?"と疑ったことは必ずあるでしょう.

ところがどっこいしょうちのすけ,めっちゃ信頼してる友達とかが「○○だからここが悪い」というような批判をしているところを見れば,(少なくともニュースよりは)疑わないでしょう.お調子ものの友達であればネタだとすぐに見抜け,勤勉な友達であればきっと深いお考えがあるのだと思ってしまいます.これが信頼度の力です.信頼度が高い相手の言葉は"どこまでがネタでどこまでが本音なのか"が分かるようになるのです.


信頼というと,相手の言葉に対する信憑性だと思ってしまう人が多いようです.

それは違います.信頼とは,「自分が相手にもつ言葉の確からしさ」のことです.

信頼しているというのは,相手の言葉の意味が分かる,真偽が分かるということではなく,

相手がその言葉を発するまでの過程を,少なくとも憶測できる,ということにあります.

知らないニュース番組が急に政治に関する意見を述べたところで,私たちにはその意見がどのようにして作られたのか知ることもできないのです.それがそのまま真偽の疑いへと繋がっていきます.


私は,一部のニュースを信用していませんが,信頼しています.ニュースには明らかに虚偽の内容が含まれていることもあり,信用はできませんが,どうしてそういう報道しなきゃいけなかったのか,というのを憶測である程度知ることができます.「○○のニュースだから信頼できない」という人は,案外その番組を信頼しているかもしれないですね.

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