論文に「すごーい!たのしー!」が使えない理由
ニュースを見た時、「遺憾」という難しい言葉をみたことがあるでしょう。なんでわざわざ難しい言葉使うんだろうなと、昔から思っていました。そして「それは礼儀だから」「それは正式な場だから」などと口をそろえて言う大人は、きっと頭がおかしいんだろうと思っていました。彼らは、子供たちにも分かりやすく、といいつつも難しい言葉を使ったりするので、本当に頭がおかしかったです。
そんな中、とても簡単な言葉だけで作られたアニメ「けものフレンズ」が始まりました。子供にも分かりやすい言葉がおおく、「すごーい!」などが代名詞になっているくらいです。このアニメでは、これだけ少ない言葉でたくさんの内容を表現していました。たとえば、「すごーい!」のなかには、「誉める内容」「称える内容」「感想を述べる内容」などありますが、基本的には文脈理解の及ぶ範囲で使用されています。昔私が「なぜ政治家は難しい言葉を使うんだろう」と思った理由のひとつに「難しい言葉でしか表現できない内容があったのではないか」というのがありましたが、これは完全に覆されてしまいました。「遺憾」はなんと「残念」で言い換えられてしまうのです。
そして私は「遺憾」がすべて「残念」になった世界を考えたとき、初めて「遺憾」の重要性に気が付きました。なんと、「遺憾」がすべて「残念」になってしまったことで、「遺憾」という言葉の検索によっていままで出てきていたものが、見られなくなってしまったのです。
まるで当たり前のことを言っているようですが、思えば私たちは無意識のうちに「《残念》と《遺憾》のどちらが使われているかを見て、文章の対象を把握する」ことに成功していたのです。
私たちはこの方法で小説と絵本を見分けることができ、小学生の自由研究と学術論文を見分けることができ、政治的発言と中学生のスピーチを見分けることができていたのです。
つまり論文に「すごーい!たのしー!」などと書かれていた時、その文字をみるだけで、この論文の「読み手対象年齢」を推定する、ということが行われているわけです。こうなってしまうと、論文に「すごーい!たのしー!」などが使えない理由もはっきりしてきます。
確かに、ある程度の学術記事を読む際には中学生以上とか、高校生以上レベルの知識が最低限要求されることでしょう。その"知っててほしい知識"がどの程度まで必要なのか、ということが、文章の一部のワードから判断できる、ということなのです。すごいですね。
私たちは知らぬ間にこのようなワードレベルの差を利用して、利用者に事前情報を与えることに成功していました。いやー圧巻・・・いえ、すごいですね。すごーい!
僕のブログは、圧巻なんて言葉の意味を知らなくても楽しめるレベルにしたいなと思っております。
皆さまからの清きお題投稿をお待ちしております。たのしみー!
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