語りかけてくる「ピンチハンガー」
昨晩,洗濯物を干していたあと,それを取り込もうと思ったのですが,
余りにつかれていたので横着をしました.
すると,洗濯ばさみが1つ取れてしまったんですね.
「あー,また一つ取れてしまったか」
と思い,ふとピンチハンガーに目をやりました.
24か所吊るす場所があったピンチハンガーには,
たった4か所しか吊るす場所がなかったのです.
僕は,目を疑いました.
当然です.たった5分前までは,「壊れているのが3~4か所だろう」と思っていたのです.
それが,「むしろ使える場所が3~4か所しかなかった」というのですから,
これはもはや怪奇現象です.
そんなとき,ふと,ピンチハンガーから声がしたのです.
「俺のようになるな」
と.
こいつが話しかけてくるわけがない,そんあ気がしました.
なぜなら,こいつはまぎれもなく「ピンチハンガー」だからです.
しかし,ここで大きな問題が浮かび上がりました.それは,
これをピンチハンガーと呼んでいいのか
という疑問です.
このピンチハンガーが抱えている一つの矛盾は,
「ピンチハンガーという名前を冠しつつ,もう半数以上の点でその用途を満たせていない」ことにあります.
これは,会社にいる使えない社員とあまり変わりないわけです.
社員という肩書を持っていながら,会社の業務内容にほとんど携わっていない社員が,
このピンチハンガーに,重なりました.
現代では,とくに上司や部長のポストが取って変わられたのち,
上司や部長の行く先がないのだとニュースで騒がれていましたが,
このピンチハンガーを手に取ってみると,その気持ちが分かります.
僕は,このピンチハンガーを,たしかに誰にも引き取ってもらえないと思うからです.
ピンチハンガーを以てして,会社の本質を知るとは,なんたることや.
こんなピンチハンガーを,友人に
「ねえ,24個あったピンチハンガー4つしか使えなくなったんだけど,いる?」
なんて聞いても,むしろ僕が迷惑行為で捕まりそうです.
しかし,ピンチハンガーと人間には,大きな違いがあります.
それは,
経年で劣化するか,成長するか
ということです.
人間たるもの,一度は「勉強」したことがあるでしょう.
社会に出たことがある人は,「経験」を積んだことも多いはずです.
それは,時間をかけて,初めて成果として体に表れていきます.
突如として歴史用語を覚えられるわけではなく,長い時間をかけて,ゆっくりと知識が頭の中にできてゆくのです.
突如として足が速くなるのではなく,長い努力と朝練の積み重ねが,100m走のタイムを縮めてゆくのです.
突如として株が上手くいくということもなく,挑戦し続けたが故の勘,まさに経験というものが,その成功率を高めていくことに或ります.
しかし,ピンチハンガーが成長することはありません.
だから,時間をかけたのち,ピンチハンガーは仕事を失っていくのです.
そこには,人生の生き方があります.我々は,学ぶことを忘れてはいけないのです.
人生の勝者となるために,あるいは,大会で結果を残すために・・・
その理由はなんであれ,我々は,成長し続けなければいけないのです.
新しい技術を取り入れ,新しいことに挑戦しつづけ,経験に経験を重ね,より必要とされつづけていくことが,必要なのです.
それこそが,人間とピンチハンガーの違いであり,
努力すること,学ぶことを忘れた人間は,ピンチハンガーも同然なのです.
経年による劣化は,想像以上に早いものです.私は,このピンチハンガーのはさみが
24個中20個破壊されるまで,気づくことすら不可能でした.
あなたは,今も衰え続けている.それは,忘れてはいけません.
同時に,あなたは,今も成長し続けることができる.それも,忘れてはいけません.
それを,このピンチハンガーが,テレパシーで私に伝えてくれた.
「俺のようになるな」
という言葉は,それを示していたのです.
あなたは,ピンチハンガーでしょうか?
いいえ,あなたはピンチハンガーではありません.
自分に問いかけてみてください.あなたはピンチハンガーなのか.
ピンチハンガーになりたいのか.
ピンチハンガーでないために,今何をすべきか.
P.S. 新しいピンチハンガーを買いました.さようなら,ピンチハンガー.
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