麻雀の「槓」
昨日と一昨日で麻雀をしました。全部で4+7半荘、まあまあ1位を取れてうれしかったのですが、「槓しすぎ」と言われました。実は太鼓さん次郎のメンバーと麻雀をする機会もあるのですが、そこでも昔は「槓」ばかりしていまして、ついには「大明槓禁止チャット」なるものが生まれてしまう始末、そのくらい、僕は「槓」をしていました。
僕が槓に目覚めたのは麻雀を初めて半年くらい経った頃でした。当時はやっと牌効率をしっかり考えられるようになって、さあオリの勉強だと思っていた矢先だったのですが、そのオリとは反対に、槓に目覚めていきました。自分は昔から刻子をそろえるのが好きで、オリの方法を考えるときには「自分が刻子を持っているからここの待ちは可能性が低い」という感じでオリを考えるようになっていたのですが、その4枚目がでると(あと3巡は自分がそれを切るだけで降りられるのに)槓をしたいと、そういう気持ちが湧いてきました。あの頃は、あれを切れば降りられる、でもそんな脳死したプレイをするよりは、もっと考えて自分の捨て牌を決めたい、という思いがありました。考えることをやめたら、それは麻雀以前に俺が人間として終わってるんです。「これをすれば必ず勝ち、必ず負け」そんなものに縛られたくなかったことが、槓というものにありました。
そして、最近になってまた槓にハマった理由としては、俺自身がぷよ9連の一員であることが挙げられます。ぷよぷよをしている身として、ちゃんと「4つつなげて(順子の可能性を)消す」、ということがいかに重要であるか、そして、その順子の可能性を消すことでそれが他のベタオリプレイヤーにとってどのくらい効果的であるかなどを考慮し、その上でまた「槓をすることが、俺の存在証明になり得る」と思ったのです。
槓は俺の生きがいです。34445と持っている状態で4が出ても槓をします。これはプレイングが下手だとか麻雀を舐めてるとか、そういうのじゃないんです。槓するというのは、俺にとって息をするも同然。槓というルールが麻雀からなくなれば、俺は麻雀をやめるでしょう。
俺の"槓"愛は、これからも一生続いていてほしいと、切に思います。
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