ただしい批判とダメな批判

昨日、というか今日外をウォーキングしていたときなのですが、駐車されている車の下にもぐろうとして怒られている子供がおりました。子供は怒鳴られるとしぶしぶ出てきて、親にごめんなさいというと、その親からとんでもない一言が!!


「そうやってすぐ謝ればいいと思ってる」


すごい面白い話ですよね。過ぎたことをネチネチ言っちゃうダメな親御さんでした。みんなもこういうことありませんか?自分がどう転んでも怒られるようなこと・・・世の中にはたくさんの「どうしようもないことを怒るモンスター」が潜んでいます。


ケース1:勉強をしておらず、テストで悪い点を取ってしまい、「勉強しなさい」と言われました。そして勉強を始めると、「言われなきゃ勉強しないのか」と怒られました。これは明らかにモンスターです。前半部分でこの人が取れるアクションは「勉強する」「勉強しない」の2つで、自明な最善手を選んでいるのにその選択肢に依存しない批判をしてきました。ここは、勉強をしたというアクションを褒めるべきです。なぜなら、この人は勉強をしたというアクションに対して批判をされた、つまり、「勉強したということがマイナス効果だったと感じる」ことになり、余計に勉強しなくなってしまいます。どう転んでも怒られてしまう場合、人は、自分に都合の良い方を選択してしまうのです。小学校の道徳・国語には褒められて初めてやる気が出る、手懐けられて甘えるようになるというような典型的なこの例に当たるものが多数紹介されており、このような発言をしてしまう人たちは小学校レベルでの道徳や国語の勉強が不十分である可能性があります。気をつけましょう。



ケース2:体育館などに全校生徒が集められ、点呼を取っている時。近くにいたクラスメイトに自分の手癖を見られ「その癖どうにかならないの」と言われました。これもまた、恐ろしい話です。

言われた人にとってこの手癖というのは個人的常識に値するもので、宗教などと同じく切っても切り離せないことであることが多いです。あなたも切っと宇宙人がやってきて「なんで息してるの?」とか言われてしまったらちょっと戸惑ってしまうと思います。これはそれに近いんです。似たような例に「O型は大雑把だから」「12月生まれなのに寒がりなの?」などが挙げられ、変に常識を曲げられて人と接することが恐怖になってしまった人を僕は10人くらい見てきました。自分の常識は相手に通用しない・・・まさに「僕はこういう人間だから」というのは、笑いごとではないことなのです。

みなさんも「相手にとって当たり前かもしれないこと」を批判の対象にしていませんか?その批判内容は相手が変えることができますか?「お前のかーちゃんでーべーそー!」と言えば相手のお母さんはでべそでなくなる可能性がありますか?もしかするとあなたも、どこかでとんでもないことを言っているかもしません。


ケース3:飛行中のマシーンが事故をおこしてしまい、陸地に墜落してしまいそうです!こんな状況で、少しでも住人を守るべく、わずかなコントロールを駆使して陸ではなく海に不時着することに成功しました。こんな時、「マシンが故障してしまい、不時着してしまった」とパイロットに批判をするのは大きな間違いです。それよりは、「マシンが故障したにも関わらず、住人の被害が最小となるような行動を選び、成功した」というのが正しいでしょう。マシンが故障したかどうかは別の人物に言われるべき発言で、パイロットに問われるのはその時とった行動、もはやパイロットは神でしょう。これは対象の間違いによる発言ミスで、責任簡易化というものが重要になってきます。

小学校に校長先生というのがいらっしゃることはご存知でしょう。この校長先生には様々な権限があたえられており、その代わりに様々な責任を負うことが約束されています。これが、最高責任です。

この場合は、校長先生に当たるものはパイロットではない別の誰かです。「このマシンを運用する」「このパイロットを信用する」というようなものが権限にあたり、責任が「事故」にあたります。よって、事故を起こしたということはこの最高責任をもつ誰か、にあります。

皆さんの中に、「マシンが事故をおこした、ならばマシンの開発者が悪い」と思っていた人はいませんか?これは大きな間違いで、「そのマシンを選び、責任を負った別の誰か」に責任があります。

この世界では、大きなプロジェクトを動かすときにすべての責任を負う人が必要なのです。

※レストランで「料理が間違っている、店長を呼べ」というのは、この責任簡易化が行われていれば正しい行為なのですが、レストランでこれを行っているところは少なく、賛否別れるところです。これはレストランは顧客が多数おり、注文というのが大きなプロジェクトではないと思われているためです。



以上のことから言いたかったことは3つ。

・相手の「選んだ選択が悪ければ批判」することが大切。

・相手の「選択次第では変えられない」ことを批判しない。

・相手の持つ責任だけを批判し、別の人が持つ責任について批判しない。


きちんと相手に意見を言い、そしてその意見をより通しやすくするためには、

私たちはより的確に相手に対して批判をする必要があります。

批判というと悪く聞こえるかもしれませんが、相手にとってはそれは大きなメリットで、

批判された内容を改善することで相手はよりよくなります。


批判はよりクリティカルに、要所を突いて言いましょう。

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