全体像の理解
最近マインスイーパーでハード100秒が見えてくるほどに上達しました。マインスイーパーというのは非常に運ゲー要素が大きく、どんなに頑張っても勝てない局面っていうのがあるのですが、実は慣れてきますと「たぶんここにはマインないだろう」という2分の1レベルの予想が85%程度の確率で当たるようになります。
マインスイーパーに限った話ではなく、「分からないけどこの場合はきっとこっちだろう」という考えは人間に必ずあって、そしてそれは理屈がないけれども平均して正しい、ということが多いです。将棋なのでは、きっとこうするのが正しいだろうと思って打った手が本当に後々響いてきたりします。そしてそれは最新のコンピューターでも判断不可能な一手になることがあります。その「こうするのが正しいだろう」というのは、全体を見て、この場合はこういうケースが多いというような理屈を頭で立てているのです、このような、部分に囚われない全体像に対しての思考のことを大局観といいます。
大局観はコンピューターでは計算できません。それについて考えるため、例として
{A,B,C}という部分を持つ集合の大局観について考えます。
まず、0ターン目の盤面の有利度R(NULL)が定義できたと仮定します。大きいほど有利、小さいほど不利だと思ってください。NULLには操作配列が入ります。
貴方はA(1),A(2),A(3)、相手はZ(1),Z(2),Z(3)という3つの手を持っているとします。
まずあなたがA(1)を選択した場合の盤面の有利度をR(A(1))とします。
敵が何かを選択すると有利度はR({A(1),Z(n)})となります。
ここであなたが見るのはmax(∀nR({A(1),Z(n)}))です。相手がもっとも有利度が小さくなるような行動を取った場合でも有利度が大きく保たれる選択肢が、最善手となります。
ということはmax(∀nR({A(c),Z(n)}) c∈{1,2,3}を解いてやれば、答えがでます。
しかしそのためには、∀c∀nR({A(c),Z(n)})を知る必要が出てくるのです。これが、大局観がコンピューターで計算できないとされる理由です。
将棋のような選択肢が100近くあるようなゲームでは、次の自分の番の局面の予想だけでも10000通りほどの要因を考えなければなりません。はっきり言ってそれは無理で、コンピューターも基本的に打たれやすい手のみに絞っていろいろ考えたりしています。
10手先を読んだら10^40乗通りだなんて、びっくりです。でも私たちは、まさかそんなことはないだろうという自身のもと、かなりの選択を省略して物事を考えており、それだからこそ大局観というものが分かるということでしょう。
しかしよくよく考えてみると、私もなかなか選択肢を省略しながら生きているなと思います。
まさかテストでここ出題されんやろとか、まさか1限起きれないわけないやろとか、
まさかこんな曲売れるわけないやろとか、まさか回線落ちするわけないやろとか・・・・・
思えば、それで私たちはうまくいっていたのかもしれません。機械に求められている「完璧な考え」やら「最善手」、もっと別のところで言えば「人間らしい考え」など、それらは
私たちの思う以上に厳しい世界なのかもしれませんね・・・・
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