外れることの正しさ

なにか敵が現れました。あなたは「たたかう」か「かいふく」か「にげる」ことができます。もちろんたたかうことは経験値を得るために必要です。それでも私たちは回復を優先したり、時には逃げなければならない時があります。なぜそれが分かるのでしょう?それは、「かいふく」「にげる」を選んだことがあるからです。それがいわゆる「外れることの正しさ」です。


私たちは、間違える必要があります。常に正しいことを選択し続けることは可能かもしれませんが、「常に正しいことを選択しつづける」ために間違えることを推奨する場合があります。

テストを受ける前日を考えてください。あなたは毎日テスト勉強をしていません。なのでテスト勉強をすると、何点上がるか、どのくらい疲れるかといった情報が分かりません。

あなたは毎日テスト勉強をしていませんが、今日勉強すれば点数が10点上がります。あなたはこの事を知りませんが、さてあなたはどうしますか?ということです。

もしあなたが100%勉強をしないアルゴリズムであれば、きっと点数は上がらないでしょう。

もしあなたが95%勉強をしないアルゴリズムであれば、あなたは勉強をするかもしれません。

そして勉強して成績が上がると、あなたは「勉強をする」のメリットを知り、「勉強をする」を選択する可能性が更新されます。

ゲームだってそうです。ダメもとで打った呪文がたまたまボスに高ダメージだったらその呪文が有効なんだなと思って「その呪文を打つ確率」が更新されます。

恋愛だってそうです。ダメもとで告白してたまたま成功したらその告白が有効なんだなと思って「告白をする確率」が更新されます。

料理も近いですね。ダメもとでかけた調味料でたまたまおいしくなったらその調味料が有効なんだなと思って「その調味料を使う確率」が更新されます。

私たちは、選択肢を迫られたときに少なくとも自分の知る最善手以外の選択肢を選ぶ必要がある場面に遭遇することがあります。これが、「外れることの正しさ」なのです。私たちはその選択肢を選ぶことによって、その選択肢を理解し、人生の歩みを更新していきます。


私は「確率が上がる」ではなく「確率が更新されます」というような書き方をしました。それは、その外れた選択肢が本当に外れだったとき、「もう次は選ばない」というような選択を心掛ける場合があるからです。

ポケモンでゴーストタイプの技をノーマルタイプのポケモンに打っても効きませんが、一度効かないと分かればその選択肢を選ばない傾向を得ることができます。

恋愛で告白しても振られてしまったときには、「その人に告白すると振られる」という情報からその人に告白するという選択肢を選ばない傾向を得ることができます。

料理で新しい調味料を使って味がおかしくなってしまった時には、同じくしてその調味料を使用するという選択肢を選ばない傾向を得ることができます。


私たちは、その選択肢が正しいか間違っているかに関わらず、その選択肢を選ばなければならない場合があるのです。これを知っている人たちはいじめに立ち向かったり、自殺にチャレンジしたり、会社を建てたり、いい意味でも悪い意味でもチャレンジ精神旺盛なタイプになります。実は自殺というのも一種のベンチャーに近いもので、悪いこととされていますが「なにもしない」よりははるかにいいものなのです。その例として、ゲームで運が悪かった場合や行き詰まってしまった場合に、ポーズメニューから「やり直す」「はじめから」などを選んだり、わざと穴に落ちたり攻撃を受けたりしてゲームオーバーを使って短縮したりなど、実は私たちは既に自殺というものにチャレンジして、しかもそれを有効活用しているんです。

だからといって自殺がいいことと言うわけではありません。それはまだ、きっとみなさんに取って選ぶべき場面ではないでしょう。そのために、時代を"先"に"生"きた「先生」というものがいらっしゃいます。活用してください。



「外れることの正しさ」、それは、

一見否定に見えて、より強い肯定を得るための道筋です。

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