アナログの持つ最終的な限界
デジタルの世界では、0と1でものが表現されており、限界というものがあります。
ではアナログの世界、リアルタイムワールドに限界はないのか?というと、
そうでもないと思うのです。
私たちは、何かあるところに何もないと思って生活していることがものすごく多いです。
空気もないと思っていますし、水中にも「生き物がいる」なんていう言い方をします。物体としての解釈を求めるならば「水」を物体として認めるのは必要だと思うのですが、私がその立場になってみてもきっと「生き物がいる」というと思います。これの持つ意味は、直接隣接しているものというのはとても限られているということです。
みなさん音はどうやって耳に響くか知っていますか?空気が伝えています。水中なら水になります。
物ってなんで燃えるかしってますか?酸素があるからです。その酸素もまた空気にあるものです。
私たちは炎と隣接していないから燃えませんが、炎の近くにいると「熱い」と感じます。それは、熱を空気が伝えているからです。でも、その熱を伝えるキャパシティは、間違いなく存在すると思います。
例えば、50℃でやっと「あったかい」と感じるような人間Aがいたとしましょう。
そしてその隣で100℃のお湯を使っている人Bがいたとします。Bが使っているお湯の熱がまあAのところまで届き、最終的にはAが「あったかい」と感じるわけですが、これを1億℃と2億℃に置き換えた時、熱の伝わりはそうではないと思うのです。
もっと言えば、空気がt秒間に伝えることのできる熱量には限界があるのではないか?ということです。単純にものすごく温度が高いからといって一瞬であったかくなるということはないでしょう、と、そう思うのです。
反応速度のキャパシティはほかにも見られます。ねるねるねーるねの要領で酸素と窒素を同じ箱に入れると自然に混ざっていきますが、手でかき混ぜてやるとすぐに混ざります。では、秒30万回転くらいで手をぐるぐるさせればその2つの物質は限りなく短い時間Δtで混ざりきるかというとそうではないでしょう。絵を描ける人がいて、3時間で絵が描ける人でしたが、練習すれば1時間で絵が描けるようになりましたと、そんなときに「限りなく長い間練習すれば限りなく短い時間Δtで絵が描けるか」ってそんなわけないでしょう。
アナログなこの世界にも限界はきっとあるのです。ただ、それは私たちに認知できるサイズではない、きっとただそれだけなのです。個人的にはまだ数値化されていないすべてのものにも限界があるような気がします。性格や容姿に記憶、なにを取っても必ずや限界はあるでしょう。
限界でないものを限界というのは浅はかですが、
限界があるのに努力を惜しまないことも
同様に浅はかだと思います。
それら2つが本当に同じだとしても、きっと人間の目には違う姿で見えてしまう、それも人間の理解の限界なのかもしれません・・・
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