TOEICのお勉強

院試までもう1週間を切っていることもあり、TOEICのお勉強がだんだんと本格的に

なってまいりました。いうて最初の目標なんて500~600でも全然文句はないのですが、

やっはり勉強する暇があるからには受験も無駄にしたくないと思って勉強しています。


でも、TOEICの練習題が載ってる本とか、模試とかいろいろみて思うんですけど、

文法だけ見れば本当にめっちゃ単純ですよね。SVOOとかたぶん高校生くらいになれば

もう染みつくほどに覚えているとは思いますが、実際に文法見直してみると

「これSVOCって分かってたら解けたやん」みたいなことって本当にあるし、

「これマジで単語分からなかっただけじゃんよお」なんてこともしょっちゅうです。

なんていうか、試験って実は基礎が欠けてるからこそ何もできないみたいなところがあるんですよね・・・こう見えて高校生時代は30点やら20点やらいっぱい取っていたのであまり言えませんが。

(最低点はもちろん1桁です)

思えば、受験の時もこんな感じでせっぱ詰るほどに勉強していたなあと思います。

あのころほどではありませんが、きっと俺がTOEICに欠けている思いの強さも

肩を並べるほどに強いのか、と。だからこそこうやって本気で勉強してるなって

思うこともあるんだ、と。

俺みたいに成り上がりで九大なんて来てしまうと、本当に大変でやれんです。

死ぬほど努力して受かっても、それが周りの平均なんですから、

常に頑張り続けないとついていけません。

周りには「赤点取った事あるんだぜ~」なんて奴ひとりもいないし、「模試の最低偏差値で勝負する」なんてもう俺が圧勝してしまいます。おまけになんかの分野で天才的才能を発揮する人もいますし、それでそのまま成績が俺より格上だなんてもう俺どこ行ったし、みたいな。

昔から、何か新しいことに挑戦するときも人前で失敗するのが嫌でした。高校の頃は周りはバカばっかりだったし(高校の人には申し訳ないです)自分の27点のテストが普通に友達の間で平均点くらいだったし、赤点も普通にいたのでその27点を失敗だとは思いませんでした。

でも大学入ってからは、まわりから見ると

自分の最初の成績・青春時代というのは明らかに失敗歴で、

欠けた自分を見られるのはすごい嫌でした。なにをするにも人並の腕がほしいと思い・・・

それが、今のTOEICまで響いていると思うと、俺は自分で自分を詰めるのが好きだなあと

思います。

まあ、受けるからにはみんなの平均以上、気合いで取りに行きますよ。

それは、失敗できない俺なりの目標ですからね。

さて、今日も勉強勉強・・・・

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