何事にも感謝して生きなさい

言葉というのは言い方次第であって、どのような状況でも、必ずやなにかにつけて感謝をすることができます。私の祖母は昔より大変「感謝をすること」に対して厚く、度々のことに帰省したときには

必ず赴いて、感謝の大切さを語り継いでいます。

というわけで、今日は思い出す限りの感謝を告げていきたいと思います。


今日は昼の12時くらいに起きました。もう最悪です。これのどこに感謝をするところがあるでしょうか?

1・・・私はなぜ起きれたのか。それは、寝ている間の無防備な時間が無事に終わった証拠です。私は神、そしてアパートの大家さんとこの家を作った工務店のみなさんに感謝しました。

2・・・なぜ12時に起きたと分かったのか。これは時計があったからです。私は時計の存在を改めて素晴らしいと感じ、この1秒、1分、1時間という単位を作り出した人たちに感謝しました。


そしてその後、ネットでゴルスタアプリ終了のニュースを見ました。なんでこんなことしたんだろうと呆れながらに流し読みしていました。これのどこに感謝しろというのでしょうか?

3・・・なぜ「なぜこんなことをしたのだろう」と感じたのか?それは、私に善悪の概念、犯罪かどうかに関する知識が身に付いていたからです。私は、学問の神様と、勉学を怠らない家庭に生まれたことに感謝しました。

4・・・なぜこのニュースを見ることができたのか?それは、インターネットが発達していたからです。このような通信技術が、私たちにさまざまな情報を与えてくれることで、私たちはたくさんの不安から逃れることができる、ということを改めて知りました。

5・・・なぜ呆れたのか。私は、自分の批判しているアプリケーションが終わったことに対して歓喜するわけではなく呆れたのです。それはなぜだろうと考えた結果、私は、以前にも似たような経験をしたことがあることが分かりました。私は自分の記憶を遡り「それは当然、やってはいけないこと、よろしくないことだ」ということが分かっていました。私は3で述べた知識だけでなく、その知識からの「判断」を行う力も身に着けていたのです。私は、自分にこのような才を与えてくださった神に感謝しました。


そのあとは、台風の情報を見たりして、シャドウバースをやったり将棋をしたりと、とても無駄な時間を過ごしているように感じました。これのどこに感謝しろというのでしょうか?

6・・・台風はどうなったのか。結局台風は、ほとんど影響を与えないままにいなくなってしまいました。これは単純に台風による被害が減ります。私は、お天道様に感謝しました。

7・・・とても無駄な時間はどこから沸いてきたのか。私はとても台風、いや、雷が苦手です。しかし台風がいなくなったことで、そういったものを気にせずに時間を過ごすことができるようになりました。自由時間が変化したわけではありませんが、自分の心から重荷がなくなったということは、とても大きいことであり、その結果、まるで時間がたくさんあるかのような気持ちに囚われていたのかもしれません。私は台風が消えたことにもう一度感謝しました。

8・・・シャドバというゲームは、とても絵が綺麗です。とても丁寧に作られたゲームで、いまやこのようなものが実質無料に近い形でプレイできるのは、インターネットや技術の進歩に感謝するだけでなく、私がこの時代に生まれたことにも感謝するほどであると実感しました。

9・・・将棋をしたりというのは、消してCPU相手と言っても無駄ではありませんでした。

CPUは角を無理に動かしたがる変な思考をしていると思ったのですが、その角の通路を大きく遮断してみたところ、後ろの銀を動かすようになりました。私はその手に対して新たな対策を練るようになり、また将棋の知識を一つランクアップさせることができるようになりました。私はこのCPU、いえ、このブラウザゲームを考えた人、そして、このゲームと巡り合えた運命に感謝しました。


そのあとは麻雀をしました。1着と3着になりました。こんなことに感謝するところなんてあるんでしょうか?


10・・・1着になったのは単純に喜ばしいことです。自分に才を与えてくださった神様に感謝しました。

11・・・1着になっても「ここで甘えてはいけない」という発想をすることができました。以前よりもまた一段と、未来も視野に入れた判断ができるようになっていることを実感し、自分が前進できていることに感謝しました。

12・・・3着はドベではありません。上手く持ちこたえることができたことに感謝しました。

13・・・1着の人は強い人でした。4s切って1sを当たりにしてきたりなど、私たちの読みをだましに来るような戦術も使っており、対戦ゲームの読みあいの重要さについて再認識することができました。私は、このゲームでこの人と巡り会えたことに感謝しました。

14・・・麻雀というゲームは本来、下準備がとても長いゲームです。しかし、今やこのようなゲームでも手軽にできるようになりました。先程同様、このような環境を生み出してくれた多くの技術者たちに感謝しました。


私はこの後も感謝をつづけ、合計50回以上の感謝をすることができました。

みなさんも、本当に身近なことでいいので、自分がこうあることができた、その過程に関わった

すべての人たちに一度、感謝をしてみましょう。

そして私も、このようなブログを読む機会を持ってくださった皆さんに感謝の意を込め、

「ありがとうございます」と述べさせていただきます。


それでは、また次回、お会いしましょう!

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