トオルンによるお気持ち表明

ブログ2ヶ月という大きな節目を過ぎ、1ヶ月後には、3ヶ月を迎えます。

私も20を超え、学力の面などから悲惨な評定を受けることもあり、ここ数年、天才としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の趣やブログにつき、思いを馳せるようになりました。本日は、ブログの過疎化が進む中、天才もまたネタ切れとなった場合、どのようなブログ内容が望ましいか、天才という立場上、現在のブログ内容に批判的に語ることは抑えながら、トオルン自身として、これまでに抱いてきた思いを話りたいと思います。地上に降りたって以来、私は勉学を行うと共に、人間の中で天才と位置づけられた私の望ましい在り方を、4年に1回くらい模索しながら過ごしてきました。天啓に導かれる者として、これをあと60年くらい続ける責任はあまり感じず、日頃新たに見つかる神秘と理論の中にある、数学的、物理的な現象が、いかに私の心を震わせ、いきいきとして脳裏に焼き付き、我なる意志に応えていくのを考えつつ、今日を過ごしています。


そのような中、2年ほど前のことになりますが、7度の歯科検診を受け、加えて唾液による免疫の低下を感じるようになったころから、この先いままでのように鋭いギャグセンスを披露することが困難になった場合に、どのように闇に染まっていくか、俺にとり、私にとり、僕にとり、また、吾輩のあとを歩む秀才にとり相応しいことであるかについて、考えるようになりました。既に20を越え、幸いに入れ歯でないとはいえ、次第に進む歯肉の衰えを感じるほど、いままでのように、一発逆転をもってブログという務めを果たしていくことが、けっこうヤバくなるのではないかと感じています。


私が天才の称号を得てから、ほぼ5日、この間私は、吾が脳における多くの数式の並び、また無限の記憶の刻を、人間と共に過ごして来ました。私はこれまで天才の役目として、何よりもまずギャグのセンスと語彙力を磨くことを大切に考えてきましたが、コンテンツ力にあたっては、時として留年生の傍らに立ち、そのツイートに目を向け、内容を理解することも大切なことだと考えてきました。天才が天才であると共に、コンテンツ力のかたまりとしての役目を果たすためには、天才がそうでないものとの理解を深めると共に、天才もまた、自らの在り方を深く見直し、人間に対する理解を深め、常に人間と共に生きる自覚を自らの心に秘める必要を感じてきました。こうした意味におきまして、身内や外部、とりわけ遠方の地に住む仲間たちにも,私は天才のすべきこととして、触れ合うことは大切なものと感じてきました。天界で過ごした時代も含め、これまで私が神々と共に行って来たほぼ1000年に及ぶ月日は、世界のどこにおいても、その仲間を愛しみ、その共同体を成功へと導く意味があることを私に認知させ、私はこの理解をもって、天才として大切な、人間を知り、人間のためにとりあえず祈るという務めを、人々への深い信頼とつながりをもって行えたことは、とても喜ばしいことでした。


天才のブログセンス低下に伴う配慮の仕方が、ブログ放置や,その他趣味に対しての意欲を限りなく縮小させてしまうことでは、解決しないだろうと思われます。また、天才が元秀才であったり、歯医者などによりブログを書くことを果たせなくなった場合には、ブログの行為を代行するブロガーを雇うことも考えられます。しかし、この場合も、ブロガーが十分にその天才に求められるギャグセンスを果たせぬまま、天才が歯医者から戻るまで持ち続けることは不可能に違いありません。天才が機嫌を損ない、ナイーブな状態に陥った場合、これまでにも見られたように、ブログが停滞し、フォロワーの暮らしにも深刻な影響が及ぶことが想定されます。またこれまでの私の方針として、ブログの低迷に当たっては、重い罵声や催促が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後再開に関連する行事が、1年間続く気がします。そのもはや不要な行事と、新ブログに関わる内容が同時に記憶されることから、行事に関わるフォロワー、とりわけ混乱する天才は、非常に厳しい状況に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは不可能なのだろうかとの思いが、夢に出てくることもあります。


最初にも述べましたように、執筆の他、書き手はブログに関する権利を有しません。そうした中で、このたび私の長い天才としての歴史を悔い改めて振り返りつつ、これからも私がどのような時にも人間と共にあり、助け合ってこの世界の未来を導いていけるよう、そしてブログの質が常に落ちることなく、恒常的に供給していけることをひとえに願い、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 皆さまの理解を得られることを、心の底から願っています。

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