「カン」をする理由

麻雀というゲームには,「カン」というシステムがあります.

僕は「カン」をよくするのですが,「カン」はむしろ平均的には勝率を下げることが多いです.しかし,なぜか「カンをした局の勝率が高い」という,もはや占いも同然のジンクスがあります.それは非科学的であり,非論理的であり,まったくもって信じられるものではありますが,今日まで破られたことはほとんどありません.


しかし,結果はそう語ります.結果論では,僕はカンをしたほうが良いのです.

麻雀には盛大に運が絡むのですが,それでも,有意な勝率の差が出ています.


これは,麻雀以外にも当てはまることです.「自分は○○したほうが強い」「自分が〇〇をやったときはいつも負けている」「俺には○○が向いている」・・・・

運が絡むはずのゲームなのに,勝敗にほとんど関与しないはずの概念が,ある人の

勝敗を大きく左右する・・・そんな経験はないでしょうか?


それを,ほとんどの人は「慣れ」と読んでいます.僕は,「カン」に慣れているのです.

「カン」をしたらゲームがどのように変わるのか

「カン」をしたら自分が何に気を付けるべきなのか

「カン」をした時,相手はどのように行動するのか

それに,僕は慣れているのです.


それは,人の心を読む,という直感的な内容ではなく,推論的なものになります.

それを,結果から学ぶのです.

「カンをした後,彼はこういう手札を持っていた,だから,カンをした後,彼はこういう手札を持っている確率が高い

まるで進次郎構文のようではありますが,これこそが "結果論" の初期形態です.

結果論とは本来,最終的に得られた結果に応じて手段を評価することを指します.

「自分の判断が正しかったかどうかを結果で評価する」は大きな間違いです.

結果論は「自分の判断」ではなく,「今後の判断」を評価します.

自分がやったかどうか,いつやったかどうか,そんなものは関係ないのです.


「カンした後,○○したら負けた.だから,カンした後○○すると負ける確率が高い」

「カンした跡,彼は○○をした.だから,カンした後彼は○○をする確率が高い」

それを潜在的に学習したもの,それこそが「直感」です.

本来,結果というのは様々な要因が重なって出来ています.だから,結果論というのは基本的には正しいことはあまりなく,「カンして,彼が○○して,私は××して,△△が起こって,運よく~~して・・・」という風に,たくさんの条件に依存します.そのすべてが起こらなければ,その結果は得られなかったかもしれないのです.


それでも,回数を積めば,「結果論」は徐々に正しくなっていきます.

それこそが現在の将棋AI,人工知能,機械学習(その他学習) と呼ばれるものです.

彼らは機械的に1秒で何万というパターンをこなし,何十万という結果を見て,学習します.

だから,「結果論」でもそれなりに正しい結果が得られます.結果論は,その母数がほぼ無限大であれば,最終的には正しい理屈となるわけです.


僕は,まだそんなに麻雀をしたことはありませんが,局数なら2~3万局は経験したことがあります.

なかでも,「カン」が発生した試合というのは鮮明に覚えています.

だから,「カン」が起こった時,僕は頭のなかで「こうすると負けた」「こうすると成功した」というのを何千通りも探し,今までに成功した手をやり続けているだけなのです.

その経験が,たまたま「カン」をした時に働くだけなのです.



みなさんは,直感を信じたことは,ありますか?僕は,あります.

計算は苦手です.覚えるのも,苦手です.ですが,直感はあります

どれだけ数学が苦手でも,直感的に答えがこれだろう,と分かる問題はありますし,

どれだけ国語が苦手でも,どうせこんなヒロインならこういう気持ちだろう,と分かる問題があります.

それは直感であり,頭のなかでこっそりと行われている計算であり記憶なのです.

そして,その直感が見についた状態こそが,慣れです.


(実際には,慣れは直感論理の2つを合計したものだという説が有力です.
論理とは,手段を「結果」の代わりに「証明」で評価します.)


みなさんも,何かに「慣れた」ことはあると思います.

慣れるというのは「たくさんの結果を見る」ということですから,普通は飽きます.

私だって,もう飽きるほどたくさんの結果を見てきました.負けてきました.

自分の「カン」が敗着となった麻雀の試合もありました.

それでも「カン」にはまだ,可能性を感じているのです.

私はまだ,「慣れる」ことができると,感じているのです.


結果が分かり切ったものは,面白くありません.決まり切ったものは,面白くありません.

完全な戦略なんて,戦略ではなく手順に過ぎません.

 ほんのちょっとの運要素や,誰も追及しない何かに夢中になってしまうのは,

それが分かり切ったものではなく,決まり切ったものでもなく,完全な戦略がないものだから なのです.

見慣れたものに,興味は沸きません.時代は常に,新しいものを求めています.


私が「カン」に求めているものは,何でしょうか?

カンは,麻雀のプロ選手でもほとんどなく,やらないのが良いと分かり切・・・ってますね.

カンは,やるなら大明カンではなく暗カンがよいと決まり切・・・ってますね.

完全な戦略は,まあ「カンをしないのが一番いい」・・・ってのがありますね.



あれ,なんで「カン」なんて

やってるんだろ・・・

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